chiaki's memo

歌ってたり、歌ってなかったり どうでもいい話が8割。

叶えたいことはちゃんと書いとけよ、という話。

先日から「ファーーー!」という案件を増やし続けている件、
その一つが、今年の秋のとあるワークショップに参加することになったことなのですが
参加者の方々を見て、自分との格が違いすぎワロタ…。もはや引き笑い。

今日、大大大先輩Sさんにそのことを話すと
「そんなの全く気にしなくていいから!考えすぎず楽しんで!!」と言ってくれたけど
私一人「オラ、昨日山から下りて来ただ!」感が半端ないアウェイさ、
その半端なさをフラットに見つめられることを楽しみにしようと思います。
ファーー!となりつつも、割と冷静でいられるのが私の強み…。
もはやそれくらいしか。。

ワークショップを聴講されたい方、
チケットを早めにGETするほうが良さそうです。
私はまさかこの人が神戸に降臨する日がこようとは思ってもみませんでした。
関西に住んでてよかったと思えたのは生まれて初めてかも…。
次に目の前で見ることができるのは次はいつかわかりません。
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聴講チケットは神戸三宮の茶房ヴォイス・村田さんまで。
どこの馬の骨かわからない私にとても親切にしてくださり、本当に村田さん有難うございます。。

このワークショップ、私が長年に渡って望んでいたものでした。
「必ずいつかきっと」と思い続けて、
ひょんな事からするっと叶ってしまった形です。
二つ返事しすぎたものの今とても焦っているわけですが、
詳細貰うまで半信半疑でした。スミマセン…。

私はかなりのメモ魔で、常に何かを書くための一式を持ち歩いており
隙さえあれば、細々と色々書いているのですが
ずっとやってきたことに、「叶えたいこと100のリスト」があります。

私が日頃持ち歩いている標準一式。女子力の「じ」の字も無いな…。
ポメラ、もう5年以上使ってる。

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何も複雑なことはない、自分がやってみたいことや
行ってみたいところ、手に入れたいものや会ってみたい人を
ひたすら100個箇条書きにするだけです。
100個なんてすぐに埋まると思いきや、それがなかなか出ない。
自分の望みや本当にやりたいことについて、
あまり深く考えてこなかったことに驚かされます。
そして、100個全部書ききったら、必ずそれに対して出来ることに手を着けます。
書いただけで何かが叶うなどと、甘い話はない…!

例えば、今回のワークショップはイギリスに行く前の
あまりにも拙い英語力しかない「アイ・アム・ア・ペン」な私だったら
万が一、同じような機会に巡り会ったとして、十分に吸収できなかったと思います。

また例えば、それが何か欲しいものだったとしたら。
NikonのD850が欲しいとして、今の自分でそれが使いこなせるか?
D850、結構重いから本当に手に入れたとして活用できるのか?ということ。
(話の基準が音楽と写真くらいしかなさすぎて辛い)

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24-70 f2.8もセットにしてしまおう。


今すぐに手に入って困るものは、きっと入ってこないし
何事も全て、どんなことも迎える準備ができているから訪れるのだなと改めて思いました。
書こう、動こう…!
想像できることは、条件さえ整えば叶えられることなのかもしれないと
改めて思う今日このごろです。

これじゃない感

また今年もひとつ歳を取りました。

…が、5月の半ばであんなに蒸し暑く、
息をしても湿気が入ってきそうなくらいの気候は生まれて初めてだったかもしれない…。
その前日に「ボイスヨガ」なるものに行き、トータル1時間位声を出すという体験をし
全身倦怠感でぐったりの上、湿気にやられてぶっ倒れていました。いや、また行くんだけど。
緑薫る爽やかな季節というのが私の誕生日の売り(?)なのに。これじゃない感満載。

まさか時計に祝われるとは思わなんだ。

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色々な方面の人たちから、今年の誕生日以降は
「天と地がひっくり返るほど人生が変わる」
「いままでは何だったんだと思うくらい、何をしてもうまくいく」と、言われており
それまでは何があっても、ただひたすらに「ひとまず誕生日までは…!」と
耐えながら生きてきたのですが、それらを検証するべく
よっしゃ、これからは思い通りにしてやるズラ!!とスイッチ切り替えていきたいです(`・ω・´)

ひとまずは8月の前半2週間位ロンドンに行きたいんだけどなあ、とか調子のいいことを考えています。
やりたいこと・我慢していたこと・諦めていたことを
片っ端から塗りつぶしていく1年になるのかもしれないです。

厚顔無恥・自分の甘え

ライブの曲をどうしようかな、といろいろ考えていて
色々と音源を聴いていて思ったことが幾つか。

自分自身、ピアノトリオ(ピアノ・ベース・ドラム)とライブをする機会が本当に少なく、
ピアノとデュオか、ピアノとベースかのどちらかだったため
ドラムが入る構成の意識が非常に弱かったということ。
選曲も違えば、意識の持っていきかたも違う。

今日セッションに行って会った大御所Sさんに、
アノトリオとのライブの話をすると、
「いいね!いいね!絶対にいい勉強になるし経験になるよ!」
「ゆくゆくはアレンジ的な部分、入りの楽器構成を色々変えてみるとか
いろんなこと、試してみるといいよ」と言ってくれて
はぁぁぁ、できるかなああ!!と思っているけど頑張ろう。

今まで自分が書いた譜面を色々と見返してみて
自分がどれだけ「アンサンブル」という考えを無視していたか、
自分がどれだけ他人に甘えていたか・頼りすぎていたかを痛感している。
それがキー設定に出ていたり、譜面の書き方に出ていたりで情けないなあ。
また、過去のライブなどを思い出してみても甘えがあったことを改めて自覚する。
結局、音楽は音楽が始まる前から始まっているというのはこういうことなのだなと思う。
それは他の人のライブを見に行っても思うことがある。そして自分はどうだろう。
一般的にも演奏者として考えても
他のミュージシャンに敬意が払えているだろうか、とかも多分そう。
残念ながら私は "Diva" ではないので、
「対等に演奏ができること」が目標だなと改めて思う。

10人中、3人

時々、デザインの仕事が入ってくるのですが
今ひとつ入ってきているのがCD一式のデザインの仕事。
今日も打ち合わせ&写真撮影だったのですが、その先にお犬様がおられてテンションが上がる。

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ジャストフィット。
君はどうしてそこで止まるのか。

今までトイプードルは女子供のための生き物だぜ!
そんなの認めない!とか思っていて、あまり触れる機会もなかったのですが
いざ実物を見ると、なんなのこの可愛いの…!

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鼻血が出そうなくらい可愛い…。キャー。
今日はカメラ×2、レンズ×3、ストロボを持参、久々に重装備。
やっぱり首と肩に来ていて、帰ってから爆睡。やっぱり体力落ちてるな…と実感。
写真関係の仕事に転職するのはもう無理かもしれない。


私は一応デザイン系大学卒なものの、
学生の頃も安定の落ちこぼれ気質を発揮していたので
ほぼほぼバイトに時間を費やす毎日。
4回生の卒業ゼミを選ぶときも何故か仲の良かった教授に「僕のところおいでよ」と言われ、
じゃあまあそれでいいかなー、とその教授のゼミに入ったものの、ゼミ生2人。
なるほど、人数足りなかったら存続が危ういので私はサクラなのかなと思いつつ
授業は教授の中国茶愛・自分の作品愛を延々聞いてればOKというゆるゆるな感じで
それはそれで楽しいものではあったけど、卒業後あまり役に立たず。

その教授の専攻は立体造形と写真で
もう一人のゼミ生の男の子はキヤノン写真新世紀で賞を取るほどの凄い奴だったため
「彼はゆくゆくは大物になるんだ!」といつも教授から聞かされていて
そのたびに「すごいねえ、すごいねえ」と言っていたのを思い出す。
それゆえかどうかわからないけど、大学の頃は知識として写真家の名前は知っていたものの
敢えてあまり展覧会などに行こうとしていなかったかも。
それで思い出したのだけれども、私幼稚園のころから
できる友達横目に「すごいねえ、すごいねえ」と言い続けてた…。
嫌みでも妬みでもなく、ナチュラルにそう言っているわけです。
「なにくそ!」とか「私だって!」とか全然思わない。
大学の頃は「あー、絶対にデザイン関係の仕事なんてしないよ!」と思ってたんだけど
まさかそんなんがカメラマンになり、デザインの仕事しているなんてねえ…と時々思う。
まあ、それに至る経緯は色々とあるのだけれど。

何に対しても、音楽に対しても思うことだけど、
細々とでも途切れ途切れでも、自分が続けてきたこと・好きなことは
なんとか続け続けようと思う。なんか変な日本語だな。
諦め早い性格なのに、ある意味諦めが悪いのかもしれないけど
そういう意味では続けるための努力はしてきたのかもしれない。
もう辞めてやらあ!!と思うことはしょっちゅう。まあ実際にやめてたんだけど!
長いこと誰もが理解してくれなくても、
もうそれでいいじゃん!という開き直りと一緒に。

ただ、自分の外側の世界に対しての理解は必要なんだなと
この2年ほどのなにもしていなかった時間を振り返って思う。
以前、友達と訪ねた自家焙煎珈琲店の店主さんが
「10人中、3人が好きだと言ってくれる珈琲を目指している」と仰っていて
そうだね、そうだよね!!と激しく共感したので、その話を至るところでしているのだけれど
自己満足だけでは外側の世界と係わっているとは言えないもんなあ。
それでも自分の内側は守りつつ。そんな珈琲みたいな音楽と作品と写真と。
チャリで行ける距離なのでまた行きたいなあ、珈琲屋さん。

そんなこんなを考えながらの久々のデザインの仕事。
打ち合わせでも、
「歌うのを仕事にしないの?」
「写真とデザインと音楽と何が本業なの?」
「どうしてみんな(メジャーレーベルでCDを出すほど有名じゃない人が)CDを作って売ろうとするの?」
と、なかなか答えがしどろもどろになる質問を受け、
「本業が何なのか自分でもよくわかんないんですけど
満身創痍で命からがら今までやり過ごしていたら、気がついたらこうなってて…モニョモニョ」
「とりあえず、私の友人たちの中で自分でCDを出すほどの人は音楽家として生きていて、
自分の作品を残すというのは自然な欲求だと思うんです…。
でもそれは無料配布では次の制作費も出ないし
かといって、そんなに利益が出ているようなわけでも無いと思うんですが
ちょっとよくわかんないです。。そして私の友人たちは音楽家として生きているけど
それ以外の人たちの場合はもっとよくわかんないです…モニョモニョ」
と、だいぶ歯切れ悪い答えしかできなかった。
ほんと、つくづく「よくわかんない」で生きてる人間だなとちょっと情けなさすら感じる。
まあデザインに関しては「好きなようにやってくれていい」と言われているので
それが一番ラクでありがたいです。。

10年とちょっと

普通に仕事だったりで今年はあんまりゴールデンウィークっぽくなく
逆に言えば平日感がない日常なのかなとも思ったりするけど
やっぱり月曜日が来るのは憂鬱。


今日は某ジャズイベントがあったので、
10年くらい前にバイトしていた店に行ってきた。
そこを紹介されて働き始めたのは19歳のとき、確かお店にはその当時
扉に「未成年おことわり」みたいなサインが貼ってあり
こちら未成年なんだけどいいのかね?と思ったのが第一印象。
2、3年バイトしていたように思うので22歳くらいまでか。

それから10年とちょっと。今日まで殆ど近付かず。
近付けず、と言うべきなのか。
幸か不幸か色んなものをたくさんそこで見て聞いて
それらは自分が最初に受けたジャズの洗礼からは遠いもので、
その界隈を近寄るのさえ動悸がするくらいになり
今まで極力近寄らなかったし、1人では絶対に通るのも嫌で
控えめに言って「みんなトイレに流れてしまえ!」と思いながら10年近く経ってしまったけど
いつまでもそう燻っているのもどうなの、と心の中で思っていたのかもしれない。

私は皿やグラスを洗ったり、「ちゃんとお客様とお喋りして頂戴!」と言われながらも
「おもろい話以外聞かへんで」の姿勢を崩さずに、ただ飲み物を作っていただけなので、
その店の普段の値段をちゃんと知らないんだけど
その当時、お客さんが1人当たり7,000円、8,000円払っていくのを見ていたので
1,000円で入れる時じゃないと行くこともないということもあり。
とりあえずは逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!と思いながら到着。

 
お客さんのタバコを買いにいつもパシっていたコンビニはなくなっていて
周りのお店もだいぶ変わり、外観も改装されていて、なんとなくお上りさん状態。
二度と来ないし関わらないと思っていた場所はいざ入ってみると
内装は変わりなかったものの、明らかに他の色んなものが経年変化していて。
まあ当方につきましても順調に劣化してまして、ってことなんだけど!

「超満員」と今日のボーカリストは言っていたけれど
10年前はそれぞれのステージが終わった時点で
次のステージを聴きに来た人の長蛇の列、
椅子も追加に追加の上、更に立ち見でぎゅうぎゅう詰めだったので
今の状態を見ると、これで超満員ならイベントに来る人がかなり減ってるのかなという印象。

10年前はとても大きなもののように思っていたことも
今になって眺めてみると、そんなに大きくもなく
自分がずっと燻っていたこともとてもくだらなく小さく感じて
「なにを今までこじらせてたんだよ自分のバーカバーーーカ!!」と思いながら帰ってきた。
店を出た時点で気力ゼロになっていたので他は行かずにリタイア…。家に帰って爆睡。
モヤモヤの克服が(たぶん)できたから良しとする…。

冷静になって考えてみると、ここで「もう関わらねえよ!」と思ったから
当時商業ビルの中にあったタワレコ
中古CDレコードの催事でCDを漁る日々になったわけで
それにより買ったCD達からの恩恵は大きい。
ジャズコーナーの棚見てたら知らないおじさんがCD買ってくれたりね。
12年前くらいってYoutubeなかったもんね。iPhoneもなかったし。
その時はパカパカかスライド式の携帯だった。

なぜそんなに頑なに嫌悪感を持っていたのか、
きっと私の世界が狭かったんだと思う。
自分のバーカバーーーーカ。

まあでも今後積極的に足を運ぶようになるわけでもなく、
帰り際に「月に一回でもいいからまた手伝いにいらっしゃい!」と言われたけど
たぶん………それはしないかなあ。
とりあえず、長く持ち続けた要らないものを脱ぎ捨てていきたい感じの最近。

某ドラゴンの言っていること

一応このブログのサブタイトルは「どうでもいいこと8割」なので
数年後、自分が見返したときに、あの時こんなこと思ってたんだなあ、とか
こんなことがあったんだなあと振り返られたらいいなという気持ちで
好き勝手書くようにしてみようと思っているものの
そこそこの大人(キリッ なので、書いて悪いことまずいことの分別含め
悲しいかな空気を読むようになってしまい(これでも)
これを加齢と呼ぶのかなと思ったりします。
あぁ、つまんねー大人になっちゃったな!
WEBの大海の藻屑になった前のブログは若さ故、
それこそ吐き出しonlyだった気がするんだけどあれは本当にどこに行ったのやら…。
もう昔を振り返らなくてもいいよ、と言われているんだということにしておきます。

昔は、色々考えすぎる性格を面倒くさいなとか
なんでこんなに頭の中がとっ散らかった性格なんだろう、とか
悲観的に思っていたし、それをなんとかしようとしていたのですが
ある程度コツを掴んできたのもあるのか、
最近はそんなに残念に思うことも比較的なくなりました。
ちょっと頭のオカシイ人と思われることにも慣れたしね!
昔「宇宙人」と上司に面と向かって言われたことがあるんだけど、
未だに向こうのほうが宇宙人だと思っています…!

去年のなにもしていなかった時期に仕事が決まらなさすぎて
ストレングスファインダーやら性質診断やらやってみたところ
「自分は色々考えるのが好きな人間なんだ!」と半ば諦めがつくと
だんだんそれが肯定できるようになってきたので
考えること・考えることをやめられないことが楽しくなってきています。
ちなみに私は「INFP・仲介者型」タイプだそう。

同じ性質の面々

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シェークスピアトールキンと一緒ってだけでテンション上がる。
とりあえず一般社会においてはあまり役に立たない人間な気がする。
ローマ帝国時代とかに存在していたら偉くなってたかなぁ?

昨今、マインドフルネスや瞑想が流行り、
「考えること」が邪魔者に取られることがしばしばあるように感じていたのだけれども
いやいや、君はもっと考えろよ…と思ってしまうこともある。
言葉の扱いひとつにしてみても、もうちょっと先に何かがあるに違いないのに
締め日に詰んでるコピーライターのように手頃な形容詞や横文字で
まとめてしまうのは何かの出し惜しみなのかい?と思ってしまう。
これも私が歳を取ったからなのかも。

色んな事に対してジャッジをしていた昔を反省して
基本、何かを否定するのはやめようと気をつけているのだけれど
批判でも何でもなく、いくら正しいものであろうと
インスタントな世界に私の居場所はないな、と思うとなかなかにどこも住み辛いねえ。

私にとって「考える≒感じる」なのかもと最近は思うことがあり
考えるからこそ感じることができるし、
感じるからこそ考えることができる傾向のような気がする。
例えば、自分はなぜその曲のあるフレーズをそういう風に歌ったんだろう、
どうしてその音を外したんだろう、
そもそも音を外したということはその音に納得がいっていないわけで
何に納得がいっていないんだろう、
どうしてこのイントロで入れなかったんだろうetc.
3、4分の曲ひとつ取っても考える要素が大杉なわけだけど
答えを出すのが大事なんじゃなくて、その考える課程が大事なのだと思いたい。
もしかしたら3分もいらないかもしれないな。

Don't think, Feeeeeel.と某ドラゴンは仰られているけれど
某ドラゴン

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結局、仕組み的に呼吸に似たものを感じていて
「吐くから吸う」「考えるから感じる」を繰り返す大きな楕円のようなものなんじゃないかなあ。
吐きながら吸えないので、感じるときは考えずに感じろよ、と言っているというのが
私の中での某ドラゴンの解釈。

とは言っても、やっぱり何も考えずに感覚で生きている人には
自分が逆立ちしてもなれないからか、とても憧れます。
でも、無い物ねだりだなあと諦めがついたのも最近。
自分の見ている全てのことに何か理由があるはずだ!と思って普段の生活を送っていると、
程々に会社も嫌じゃなくな………ったりはしてるのかな…。


しないな。

鳴りが悪い

朝走り始めて通算10日とちょっとになるのですが
そのきっかけはライブを決めたこともあるけど
もう一つの理由が、歌っていても「鳴り物」としての響きが悪いようにふと感じたから。
なにかちょっと気になると色んなことが気になってくる。

朝に発声練習してはいるものの、なんか上手く鳴らず(どう表現したら良いのやら)
響きが悪くなっていて鳴らない物を出口でなんとかしようとしても
あんまり意味がないような気がするなと思い
何をするのがいいのか、ひとまず体力と筋力が落ちてるからか、
重心が上がってきているからかなと思い、走り始めてみました。単純!

まあ、朝走ってみて意外と気持ちいいし
思ったよりも走れるしこれはこれでいいんだけれど
問題の解決とはちょっと違う気がする…と思い
何年か前に読んでみた本や新しく読み始めた本をもとに色々試し中。

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ぐでたま…。

今のところ、数年前に買ったこの本が読み物としても興味深いことが書いてあって
最初に読んだときは「私が求めていたことがめっちゃ書いてある!」と
非常に感銘を受けたのだけれども、読めば読むほど
これは読んでいるだけではいかんなと思い始めてきました。
なおかつ、その時の自分のコンディションにより
内容を受け入れられる時とそうでない時の差が激しい。
精神的なことの割合が高いからかな。
それと、何かを信じ切る・盲信するのが嫌なのかもしれない。
これに書いてあることを100%信じ切って
この世界観にのめり込むように取り組むと良いのかもしれないけど
基本的に性格がひねくれているので、興味のあることも
「ちょっと引いて見てみよう」と思ってしまう…。
ナチュラルに全力で共振できる人が羨ましい。
まあ共感できるとこを吸収できたら、それでとりあえずは良いのかな。

何でも読んだだけで理解したことになってるのは非常に危ういなと思うし、
ちょっと何かをしただけで全てが変わる魔法の杖はそう無いからね。
機会があれば実際にレッスンを受けてみたいのだけれど。
似たような他の本も読み始めてるけど、
書いてあることは一緒のように感じるので色々実験中。

音楽、そして歌うことは、聴くこと

 
夜中に奇声を発しても大丈夫な部屋がほしいです。